朝4時半ごろに宇和島市の産婦人科にて産まれる
母親の実家の階段の1番上から下まで転げ落ちる
同時に持ってたチョコベビーをぶち撒ける
台所で生卵を投げまくる
もちろん怒られる
これが生涯最古の記憶
母親の故郷である長崎に向かう途中
階段から転げ落ち
口の中を切り大流血
人生初の手術台を経験する
卵かけご飯にふりかけをかけて食べようとして食べなかったりしていた
1人で歩いて外に出て、長崎の街を歩き、坂道を昇ろうとしたときに祖母に保護される
電源がついたアイロンを触り左中指を火傷する
保育園の送迎場所で
雨の日に必ず来る白い車に怯える
マフラーの音が怖かった
送迎バスの前座席に座れた時が嬉しかった
跳び箱が練習では飛べなかったのに
本番の運動会で見事に飛ぶ
マーチングバンドでシンバルを担当する
卒園式を兼ねた発表会で劇のセットを壊す
ビデオでその様が残る
学校給食を完食する事が出来ない日々が続く
給食を美味いと感じるようになったのは中学になってから
予防接種で大号泣するほど注射が嫌いだったが
ハンコ注射で怖くなくなり
本チャンの予防接種では泣かなくなったが
気合いが必要だった
その気合いは現在も少し継続している
なのでコロナ禍の時は大変だった
気管支喘息で苦しい中
時の天皇の崩御と
テレビで昭和から平成に変わる事を知る
結果現在までに昭和平成令和を生きる人になる
家にアコースティックギターがあり
勉強も運動もファミコンも不得意だったので
秀でる何かを見つけた気持ちになり
ドレミの運指以外は独学でギターを始める
Fのコードでつまづいたがどうにかクリアする
たまのさよなら人類を聴いて衝撃を受け
たまのファンになる
石川浩司のドラムセットに触発され
後に段ボールでドラムを作る
その傍らRCサクセションの「カバーズ」を聴きながら
日曜日の朝6時にエアドラムをやる生活がしばらく続く
「雨上がりの夜空に」ではなく
「サマータイムブルース」が最初に聴いたRCサクセションの曲になる
トランペット鼓隊をやる事になり
バスドラを希望の楽器にしていたが
何故かトランペットになる
親戚がトランペットを持っていたため
それを使う
作詞作曲をするようになる
しかし陶芸家の様にボツにしまくる
中学校進学
校則で頭を丸めないといけなかったので人生初の坊主頭になる
しかし3学期で校則が変わり
頭髪自由になるので期間は短かった
それを信じられず坊主にして登校したら
髪を伸ばしている同級生がちょいちょい居たので恥ずかしくなる
ユニコーンを聴いてハマっていたが
ある日の夜不意に目覚めてラジオを聴いたら
ユニコーンが解散する旨の特別版のオールナイトニッポンが放送されていた
喪失感を覚える
音楽の先生からの要請でギター伴奏を同級生と2人で行う
初めて人前でギターを弾く
この頃からラジオを聴き始める
気に入った曲を録音して
ワンコーラスだろうが繰り返し聴いていた
夜ベッドの中で音楽をかけながら
エアドラムやエアギター
果てはエアシンセサイザーをやるのがナイトルーティンになる
マルチプレイヤーになりたかった
文化祭でギター演奏をする
ギターとコーラス担当
一曲目で弦を切りそのままやり切る
本番前は弦を張り替えよう
後輩の一年生の女子によく挨拶をされるようになる
モテていると錯覚する
髪の毛を初期のBUCK-TICKか布袋寅泰かのように全部立てる
時間と共に萎れるので
先生からは「落下傘」と言われる
声楽部に仮入部という名目で入る
コンクールに参加する
声質的にアルトと思い込んでいたが
バスのパートになった
ものすごく楽しかった
阪神淡路大震災発生
当時住んでいた家も揺れる(愛媛は震度3)
教室のテレビで倒れている阪神高速を見て呆然とする
また地下鉄サリン事件が3月にあり
その日が高校の合格発表日だったので「この世はどうなるんやろう」と思う
因みに高校は推薦入試で受験していた
作文と面接のみの試験内容で
同級生より1ヶ月早く試験を受けて
同級生より1ヶ月早く合格が決定していた
ギター部があるという理由でバス通学で高校に通う
校則が厳しくやってられんと思いながらも
後に半ば強制的に吹奏楽部に入る事になり
最高の先輩たちや同級生と部活をやり高校生活が楽しくなる
担当はチューバで夏はスーザフォン
ふたつの楽器を季節ごとに使うので特別な立場やと思い込み優越感に浸る
ここから「祖母が作った弁当を食べる事と部活をやるため」だけに高校に通う
勉強を捨て始める
運動は既に捨てている
豹柄の軽トラを知永峠で見たと同級生に言ったら「いい加減にしろ」と言われる
生徒会副会長なのに髪を染めていた事がバレる
そして喫煙の場に居ながら注意をしなかったとして
1週間反省日誌を書く事になる
ちなみに当の本人は20歳までタバコを吸わなかった
タバコは20歳になってから!
しかし飲酒はバレなかった
違うクラスの同級生と
偶数週の土曜休みは飲み会
お酒は20歳になってから!
文化祭で弾き語りをやり生徒会の活動をしたり
4校合同で総合文化祭に出る前哨戦として
たまたま近々の日程だった
各々の学校の文化祭に出る吹奏楽部4校文化祭ツアーをやり
何かと忙しい日々を過ごす
勉強は全て捨てたおかげで進級会議で必ず名前が上がっていたらしく
クラス担任の先生の尽力で単位を取るチャンスをもらい
赤点ギリギリで進級卒業を果たす
この頃にグリーンデイやマッドカプセルマーケッツや
ハイスタ等を聴き始めパンクスとして生きる事を決める
当時ミッシェルガンエレファントのチバユウスケが
坊主にしていたからという理由で望んで坊主にしたら
祖母には呆れられ後輩からはニヤニヤされ
担任からは何かやらかしたのか正直に言えと問い詰められる
坊主頭=罰則のイメージが強かった頃だった
修学旅行の感想文で
その時の東京の印象をバキバキにディスった文章を書いたら
学期末の学校新聞に掲載される
国語の先生からの強い希望があったらしい
文章の横にはミニーと笑顔で記念写真を撮る同級生達の写真
高校卒業!
帰宅後ブリーチを買いに行く
地元企業に就職するがすぐ退職
ちなみにその企業は数年後潰れる
マイルドヤンキーみたいな日々を過ごす
原付を乗り回し
毎日ジャージの短パンで出歩き
髪の毛を派手にして
朝寝て夜起きる生活
諸々あって3ヶ月間免停になる
その間は徒歩でひたすら移動する
おかげで痩せる
自称名物コンビニ店員への第一歩を踏み出す
緑色に髪を染めたら怒られたが
髪の毛をライン入りの坊主頭にしたら褒められた
夜勤の終わりに「クック」に行って
唐揚げ弁当かトンカツ弁当を買って
家に帰って風呂に入り
弁当を食べて寝る生活
夜9時15分に起きて
25分に家を出る
何度かトチる
ラジオをつけたまま寝ていたので
起きた時ラジオが流れてると何故か寂しくなった
合コンに参加するか
居酒屋て友人と飲んで口論になり
一万円札を叩きつけて帰るかの日々
めんどくさい奴になる
つまりは酒ばかり飲んでいる
もしくはカラオケばかり
エアジャム2000に思いを馳せる
ひたすらロッキングオ◯ジャパンを読みまくる
昔は大好きだったが今は大嫌い
寝る間を惜しんでカラオケボックスに行く日々が続く
ロックインジャパンに行くために東京駅の近くのホテルに泊まり
翌日新宿からシャトルバスに乗りひたちなかに向かう
ちなみに泊まったホテルの一泊の宿泊料は13000円で
カレーが1500円だった
愛媛に帰る前に泊まったビジネスホテルは8400円
東京は何もかもが高い
BUMP OF CHICKENのライブの時に
ダイバーの足が顔にヒットする
当時バンプのライブでもダイブする人が居た時代
渋谷のタワレコでバンドシャツを買いまくる
この年からソロでデモテープを作りネットで委託販売を始める
そのサイト企画のオムニバスに参加
オムニバスのための曲を作り収録される
坊主頭でTOKYO TRIBE2のムサシノSARUのシャツを着てご満悦だったが
三瓶がブレイクしたおかげで
合コンで三瓶のモノマネをする事になる
見事にスベる
三瓶は悪くない
自分にガッツが足りなかった
ナンバーガールの解散に凹む
ガラケーの掲示板で知る
ゴーイングステディとミッシェルガンエレファントの相次ぐ解散に凹む
この時に「自分の好きな音楽シーンがどんどん終わっていく感覚」を感じる
永遠は無いという言葉を実感する
自らバンドを起こす事を決意する
ボーカルギターのはずがベーシストになる
しかし初めてのバンド練習でギターに変わる
多分この年の秋か冬とかに初ライブをやったと思う
最後の曲の終わりに弦を引きちぎる
それを2回やったらお客さん引くから
やめた方がいいと言われる
ちなみにギターはボリュームトーンもカットした男気仕様
バンドをやめる
せっかく買った100Wのギターアンプは
後に8000円で買い取られる
夜勤の疲れがたたって心身共にキツくなる
以前あまり寝なかった事で
倒れたり吐く事があったため
昼間の熟睡が最重要課題になる
耳栓を愛用し始める
当時は静寂が友達だったが
2023年頃にその縁を切り耳栓を捨てる
現在はApple Musicが友達
カセットMTRで暗いショーン・レノンみたいな曲ばかりを作る
次第に音楽を作る事が楽しくなくなる
ひたすら働いていた気がする
謎の吐き気で倒れて生涯初の救急搬送となる
診断してもらったが特に異常はないと言われる
アベフトシの訃報でびっくりし過ぎて
喘息の発作を起こす
2010年8月から「人生を休みなさい」と母親から言われ
何もせず気ままに過ごす
年末に初の北海道へ旅行に行く
旭山動物園で集団で歩くペンギンを見たりスープカレーを食べる
ジンギスカンでご飯3杯食べる
惜しむらくはカウンターアクションと水曜どうでしょうのあの公園に行けなかった事だった
次行けるなら苫小牧にも行きたい
東日本大震災発生
毎日見ていた国会中継が中断され
津波の映像に唖然とする
夜は夜で火事で燃える気仙沼の映像を見て訳がわからなくなる
働き出してからは支援物資を送ったりチャリティー企画の音源や
グッズがあれば買っていた
この頃から「こういう時にやるべき事を探す」事を覚える
32年住んだ宇和島市を離れる
途中のサービスエリアから見えた高島屋のくるりんを見て
「俺はあの街の人になるんや!やったぜ!」と喜ぶ
しかし1ヶ月間喘息に悩まされ
原付も自賠責が切れていて乗れず
自転車で通勤
しかもダブルワークの時期があったので
まあまあな距離を夏の間自転車で移動していたのでしんどい記憶が大きい
夏はいつも何かとしんどい
その代わり冬は何かとワクワクする
コンビニ店長になる
今にして思うとよくやれたもんだと思う
辞めてからは有休を消化したり
職業訓練校に通うために試験を受け
晴れて受かる
ノーストレスで朝起きれる素晴らしさたるや!
職業訓練校の打ち上げの幹事になる
ホットペッパーフル活用
徒歩で住宅地図の調査員をやる
工業地帯を歩き
雨の中歩き
峠を越え
泥濘を歩き
誰も居ない神社の境内で
ファミチキを食べる日々が続く
今治で仕事していたら
市民からの通報で駆けつけた
市役所の人に声をかけられる
職質された時と同じ様な感情を抱く
職質やめて!
歩きすぎたせいで両足を痛める
足底筋膜炎になる
足を休めてくださいと言われ
仕事を辞めることになる
2013年からやっていたハンドメイドブランドを活発化させる
色んな人たちの繋がりに感謝
今も足向けて寝れないです
シガちゃんよりカッコいいものを作りたい一心で
ひたすら針と糸で作り上げる
めちゃくちゃ楽しい
今も!!
その反面音楽を作る事自体をしなくなる
「義務の様に作らないけんみたいな感じ」がしたためである
働きつつも程々に夜遊ぶ日々が続く
人生で1番程よく良い期間だった気がする
吉村秀樹会飲み会をやる
またまだアルよ!ハードコア!
職場の喫煙室から我が家が見えているため
隙を見て帰ろうかとか企む
社会人としては酷い部類だと思う
鯖の塩焼きを食べたら蕁麻疹が出る
その日の夜息苦しくなり倒れる
救急搬送後診断の結果
便が溜まったことによる胃炎腸炎と言われる
点滴を2本打って出社する
コロナ禍突入
コロナは何もかも壊していったと
好きな芸人さんが言っていた
市内電車は間隔が空けられ
夏でもマスク着用の日々
特に愛媛は緊急事態宣言が出たり
まん延防止等重点措置がされたりしていたため
途方に暮れる
BiSHのLETTERSを聴いてどうにか踏ん張る
その頃でもイベントやライブには行っていたが
親が心配しない様に「友達に会いに行く」と言って出かけていた
コロナ禍明けのノーマスクの日々は嬉しかった
部屋の中で腹が攣り、立ち上がって伸ばそうとしたら意識を無くし倒れる
そのせいで後頭部を7針縫う怪我を負う
搬送先は蕁麻疹の時に搬送された時と同じ病院で
自分がラモーン部のシャツを着ていたため
看護士さんにラモーン部の説明をする事になる
この頃からオダウエダにガッツリハマる
気づけば神保町よしもと漫才劇場の芸人さんが好きになる
芸人さんは凄い
音楽活動をやっと再開させる!
文明の利器に感謝!!
アルバム「夜に浸りたいと思う」10/1リリース!
この時期に長年持っていたSoundCloudのアカウントを削除する
e.p「バラバラでいいe.p」11/1リリース!
全部の音源に対してだが「これ凄く良いな」と思いながら聴いては余韻に浸り
また聴くを繰り返す
ミニアルバム「スピーカー」11/21リリース!
歌詞を登録したはずなのに
表示されていないので
歌詞ページをホームページに追加する
ラジオ番組「清水地区パイレーツサテライト」を始める
Appl◯のサポートセンターにブチギレる
コンビニの店員さんになぐさめられる